考えただけでも気がめいる話だが、数年前にこの港町の灯台守が自殺した。夜、目もくらむ光を四方に投げかける灯台の中で、何かにとりつかれたように床の上にガソリンをふりまき、火をつけ、首を吊ったのである。灯台は積み上げた落ち葉のようにぱっと燃え上がり、一晩かかって黒ずんだ燃えかすになった。灯台守の死体は黒こげになって発見された。それからというもの、穏やかだったこの町もすっかり変わってしまった。人々の顔つきは陰気になり、ほんのり桜色を帯びていた海もいつしか鈍い鉛色になった。子供達は春になったというのにみんな風邪をひき、大人達はそろって悲観主義者になった。人々はただ顔を地面に向けて、災厄の年が過ぎていくのを待つしかないように思われた。けれども不幸はそれだけでは終わらなかった。幽霊が出現したのだ―――といってもそれは自殺した灯台守の幽霊ではなく、灯台そのものの幽霊だった。

 最初に気づいたのは船乗り達だった。夜、沖を通りかかると、そこにあるはずのない灯台の光が見える。夢でも見ているのかと思って目をこすってみても同じだ。そもそも灯台の光を他のものと見間違うはずはない。ところがそうやって目をこらして見ているうちに、光は幻のように消えてしまう。忽然と、あとかたもなく。これは幽霊に違いないということになり、噂はあっという間に広まった。そのうち、幽霊灯台の光に惑わされて事故を起こす船も現れた。ここぞとばかりに新聞が書き立てた。大問題になった。こうして、町の人々は幽霊灯台をなんとかする必要に迫られた。

 しかし、灯台の幽霊などという不可解な存在にいかなる対策が可能だろうか。市長は頭を抱えた。ところでこの市長は、もともとは詩人として身を立てた変わり者だった。この町で生まれ育ち、砂浜を歩いたり海を眺めたりしてぼんやりと空想にふけるのが好きな青年だった。自然と詩を書くようになり、薄い詩集を何冊か出版した。大して売れなかったが、彼の詩をほめる批評家もいないわけじゃなかった。そんなわけで彼はだんだんと町の名士になっていった。町の人々は彼に酒をおごったり、彼の肩を親しげに叩きながら子供の勉強を見てくれと頼んだりした。ある時、人に頼まれて彼は市長に立候補した。そしてあれよあれよという間に当選した(子供の頃からなんとなく人に慕われる人格だったので、そう不思議なことではなかった)。こうして若き詩人は若き市長となった。彼は町の人々が好きだったし、生まれながらに穏やかで楽天的な性格だったことも幸いし、清廉潔白で庶民的な市長として人望を得た。それ以来いろんな町の問題を解決してきたのだったが、そんな彼も今回ばかりはお手上げだった。どうしたらよいか全然分からず、子供の頃のようにぼんやりと空や海を眺めることが多くなった。

 そうやって一ヶ月ぐらいは手をこまねいていたが、やがて何とかしろという世論が高まり、放っておけなくなった。市長は議会を招集した。木槌で机を叩き、みんなに意見を出すように求めた。けれども、全員黙りこくったままだった。咳払いの音ばかりが空しく壁に吸い込まれていった。
「誰か案はありませんか?」
市長の呼びかけに答える声は一つもなかった。もと詩人の市長は絶望し、自分の部屋に退いた。そしてかたわらに控える秘書に言った。「われわれはもう終わりなのだろうか?」
秘書は言った。「市民達は市長を信頼しています。あなたがいる限り、彼らが希望を捨てることはないでしょう」
「希望を捨てたいのはこの私だよ」市長は両腕を上げてお手上げのポーズをした。

 夕方になり、彼は家に帰った。市長は独身だった。ソファーに身を沈め、ブランデーを飲みながら憂愁に身をゆだねた。疲れのせいか、そのまま眠り込んでしまった。夢の中で、誰かの声を聞いたような気がした。それは多分、すでにこの世にいない父親か母親の声だったのだろう。目を覚まし、ひとりごとを言った。「誰だか知らないが、また詩を書きなさい、と言ったようだったな」

 ふと思いついて、長い間開いていなかった書物を手にとった。薄く華奢で、この世の渾沌に似つかわしくない純白の羽毛みたいな書物、すなわち詩集。かつて詩作に行きづまった時、ランボーやヴェルレーヌの詩集をひもとくのが彼の習慣だった。美しい詩句を目で追いながら、私が詩作から遠ざかってしまったのはなぜだろうかと考えた。そしてまた、この世界はなぜこうも不幸と悲惨に満ちているのかとも考えた。耐え難い哀愁の重みに押しつぶされそうになったその瞬間、心の奥からどっと言葉があふれ出してきた。彼の中で眠っていた詩人がよみがえったのだった。

 次の日、彼は市議会を再び召集し、その席上で数々の斬新な提案を行った。たとえば、幽霊灯台があちこちに出没して船を混乱させるなら、私達は50メートルおきに灯台を設置してそれに備えたらどうかと提案した。それからまた、幽霊灯台が白い光を投げかけるならば、区別しやすくするために私達の灯台の光は虹のスペクトルである七色に限定したらどうだろう、とも提案した。さらに、灯台の光の魔力を減じるために、海に大量のホタルイカを放してみたらどうだろう、と言った。誰もがすぐに感じ取ったように、これらのアイデアは市長としてではなく、詩人としての彼の感性から生み出されたものだった。人々は驚き、そして市長への愛情をかきたてられた。彼の言葉の中にあるポエティックな響きに魅了されたのだ。全員が立ち上がり、拍手をした。拍手は鳴り止まなかった。市長を賛美する声はかつてないほどに高まった。

 もちろん、これらの計画はすぐさま実行に移された。インスピレーションのあかしとして、あるいは敬愛のあかしとして。このようにして、町には再び平和が訪れた。幽霊灯台はその後も出現し続けたが、もう誰も気にしなかった。

(挿画:パウル・クレー「忘れっぽい天使」)

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