『Yの悲劇』 エラリー・クイーン   ☆☆☆☆☆

『Xの悲劇』に続き『Yの悲劇』を再読。昔はこれが海外ミステリの最高傑作と言われ、その種のランキングでは大抵1位だったものだ。私もランキング1位の『Yの悲劇』を読んでみようと思ったのが推理小説を読み始めるきっかけだった。が、最近ではその神通力にも陰りが出てきたらしく「実は大したことない」「過大評価されてた」という意見もあるらしい。しかし今回ものすごく久しぶりに再読してみたが、やっぱり面白かった。これほどどっしりした満足感を得られる本格ミステリはあんまりないと思う。

世間的な評価が下がった理由の一つに「今となっては犯人が意外じゃない」または「途中で犯人が分かってしまう」というのがあるようだ。アマゾンのレビューなんかを見るとこういう人が多い。というのも、本作はもともと「とびきり意外な犯人」で有名だったからだが、私はこれについてはよく分からない。実は、読む前にすでに犯人を知っていたのである。昔は「名探偵図鑑」系の本で名作のネタばらしを平気でやっていたものだが、私もそういう本で読んでしまったのである。その本では他に『アクロイド殺し』や『オリエント急行』の犯人もばらしていた。今あんなことをやったら非難轟々だろう。まあそれは余談だが、そういうわけで私はすでに犯人を知った状態で本書を読んだ。だから意外な犯人の驚きはまったくなかったわけだが、それでもやっぱり面白かった。だから犯人が意外じゃなくなったから『Yの悲劇』の価値が落ちたとする意見には与しない。

純然たるパズラーとしてはおそらく『Xの悲劇』の方が上だろう。「精緻を極めた論理の技巧」なんて言われているがそれほどでもなく、最初の手がかりの隠蔽方法などはちょっとずるいと思う。ドルリー・レーンの謎解きも『Xの悲劇』ほど鮮やかではない。じゃあ何が傑出しているのかというと、まずはこの、ぞっとするような独特の雰囲気だ。本書ではきちがいハッター家と呼ばれる家で事件が起きる。最初に自殺、そして毒殺未遂。ここまではまあ普通だが、次の寝室の撲殺事件がすごい。床にはパウダーが撒き散らされていて、その上にたくさん足跡が残っている。死体の顔には驚愕と恐怖の色が浮かんでいる。そして凶器はなんと、マンドリンなのである。ウクレレの親戚みたいな、あの楽器である。

マンドリンによる撲殺! これだけでも驚きだが、そこにルイザ・キャンピオンの証言が加わる。このルイザは40ぐらいの婦人なのだが、目も見えず耳も聞こえず、口もきけないという三重苦の女性だ。彼女は殺された老婦人と同じ寝室に寝ている。この婦人の聴取場面からして異様なムードなのだが、そこで彼女はなんとも奇怪な証言をする。まずは、暗闇の中で犯人の頬に触れたと言う。そして、犯行時にアイスクリームかキャンデーみたいな匂いがしたというのである。

この部分を最初に読んだ時、他の推理小説では決して経験したことのない不気味な戦慄を感じたことを今でも覚えている。怖いのだが、この怖さは非常に独特だ。カーのような怪奇趣味、オカルトでもなく、横溝正史のようなおどろおどろしさでもない。不合理な、狂気を感じさせる怖さ、まるでパースの狂った風景画を見るような不気味さなのである。もちろん、きちがいハッター一家は「不思議の国のアリス」のマッド・ハッターを下敷きにしているのだが、あのスラップスティックな狂気を殺人に結びつけてこうまで不気味かつ荘厳なミステリに仕上げたクイーンの発想、そして手腕は見事だと思う。さらに、このマッド・ハッターをモチーフにした事件を(誰もが最初に思いつくように)ドタバタ的なファルスにしてしまうのではなく、あくまで重厚なリアリズムでやったところがすごい。とてつもない力技だ。

やがて自殺したヨーク・ハッターが書いたという推理小説のプロットが発見され、その通りに殺人が起きていることが分かる。これだけでもぞっとする話だが、さらに寒気がする事実が判明する。その小説の中では、犯人は死んだヨーク・ハッター自身なのである。(注:これは物語の途中で明かされる手がかりの一つで、ネタバレではありません)

国名シリーズに代表されるクイーンのミステリの特徴は、あくまで論理的で明快な謎解きにあり、事件そのものや手がかりはむしろ平凡なものが多く、従って捜査の過程は大して面白くない。が、本書は違う。奇怪な事件、奇怪な手がかりが続出で、読者をぞくぞくさせるのである。

後半に入るとハッター家の遺伝的な病毒がクローズアップされ、重苦しい雰囲気になってくる。作者は罪と罰の問題に足を踏み込んでいき、『Xの悲劇』では終始超然としていたドルリー・レーンにも苦悩の色が濃くなってくる。それに追い討ちをかけるように、ハッター家の主治医であるミリアム医師はレーンにこう告げる。「良識のある人間だったら、ハッター家の人たちに道義的な責任を負わせることはできますまい」

そして最後の謎解きにおいて、読者はこのミリアム医師の言葉が最悪の形で現実となるのを見るのである。そういう意味で、あの犯人はこの物語において必然だったと言える。本格ミステリでありがちな、ただ驚かすために持ってきた「意外な犯人」ではなく、小説のテーマ、モチーフの上で動かしがたい必然性があるのだ。そういう意味でも私は『Yの悲劇』を評価したい。単に意外とか意外じゃないとか、途中で犯人が分かるとか、そんなのは二次的なことである。

この作品には『Yの悲劇』というタイトルにふさわしい悲劇性がある。ドルリー・レーンが登場する「悲劇」四部作は間違いなくシェークスピアの四大悲劇を意識していると思うが、四作の中でも「悲劇」の名が本当に似つかわしいのは、この『Yの悲劇』だけである。

『Xの悲劇』のところでも書いたように、本書は推理小説としては異形で、むしろ破綻ぎりぎりだと思う。純然たるミステリとして、パズラーとしてはおそらく『Xの悲劇』の方が完成度が高い。しかしながら一個の小説として総合的に見ると、私は『Yの悲劇』の方により強い魅力を感じてしまうのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。