『天国は待ってくれる』 エルンスト・ルビッチ監督   ☆☆☆☆☆

ルビッチ監督晩年の作品。1943年発表の、数少ないカラー作品である。

一人の男が死んで閻魔大王に会いに行く。自分は地獄行きに決まっているからというのだが、意外に礼儀正しい閻魔大王は男に詳しい説明を求める。するとこの男ヘンリー(ドン・アメチー)は、自分の人生をその誕生から死までダイジェストして話して聞かせるのだった。ニューヨークの由緒正しい一族に生を受けたヘンリーは、優秀なイトコと違って女好きの道楽者で、子供の頃から女がらみで悶着を起こし、キャバレーの踊り子にうつつを抜かし、しまいには優等生のイトコが連れてきた婚約者を略奪して逃げてしまう。そうやってこの女性マーサ(ジーン・ティアニー)と駆け落ち結婚してからも、いい加減でお気楽な素行がおさまらないヘンリーだったが、しかし、彼ら夫婦の人生は実のところ、かけがえのない愛に満ち溢れたものだった…。

傑作である。名作といってもいい。『極楽特急』や『街角 桃色の店』ほどトリッキーな設定ではなく、むしろストレートで愚直な人生のダイジェストなので、ルビッチにしては洒脱さに欠けると思う向きもあるかも知れないが、この映画のディテールから滴る肉汁の旨味は極上だ。ギャグは冴えわたり、情感の肌理細かさはこの上なく、センチメンタルに堕さない抑制もキリキリ効いている。そしてこの映画のすべての場面を透かして、私たちはルビッチ監督の微笑みが輝いているのを見るのである。

冒頭のヘンリーと閻魔大王の会話から、ルビッチのさりげなくかつ上質なアイロニーの連発だ。「(最後の食事について閻魔大王がきく)さぞかし、すばらしい食事だったでしょうね?」「それはもう。医者が禁止したものは全部食べましたから」「(死んだ時の状況についてヘンリーが説明する)…そこに親戚一同が集まっていて、みんなが私についていいことしか言っていなかったので、ああ私は死んだのだなと分かったのです」「よい葬式でしたか?」「ええ、みんなたくさん泣いていたので、楽しんでくれたと思います」

エスプリの冴えは、ヘンリーの回想が始まってからも衰えない。子供時代に、女の子にカブトムシを一つプレゼントしようとして自分の分まで取られてしまったエピソードを話した後、ヘンリーはこう締める。「…こうして私は幼くして、女性の心を得るにはたくさんのカブトムシが必要であることを学びました」

ただし、ルビッチのエスプリはそのさりげなさとデリケートなタッチゆえに、字幕でセリフを追わなくてはならない日本の観客にとってはいささか分かりづらいという難点もある。たとえばチャールズ・コバーン演じるヘンリーの祖父は、マジメな優等生のアルバート(ヘンリーのイトコ)よりヘンリーの方を愛する唯一の身内だが、彼が初めてアルバートの婚約者マーサに引き合わされた時、マーサの美しさに破顔一笑し「いやあ、私がもう50歳若かったら、この素晴らしい若者(とアルバートをちょっと見る)の代わりに、あなたに求婚していたでしょう」と言うが、ここに非常にデリケートなギャグが仕込んである。祖父がアルバートを見て「this ssssplendid young man」(この素晴らしい若者)と、スの発音をちょっとだけ長く伸ばすのだが、英語圏の人間には「this stupid moron」または「this stupid asshole」(このバカ)のように言いそうになって言い直したのだなということが分かる。が、もし字幕だけ追っていたら分からない。

分かりやすくしようと思ったら「このバカ…いや、この素晴らしい若者の代わりに」と言い直させることもできるし、ありきたりのコメディ映画ならそうするかも知れないが、ルビッチはほんのちょっと「ス」の音を伸ばすだけでそれを表現してしまう。チャールズ・コバーンの演技も絶妙だ。もちろん、他の登場人物がそこにツッコむこともない。が、そのさりげなさと微妙さによってギャグは膨らみ、余計おかしくなっている。私はここで爆笑してしまった。この映画には、こういう演出があちこちに仕掛けられているのである。私も全部拾えている自信はない。

ちなみにこのチャールズ・コバーンはまったく素晴らしく、彼がマーサの一家(カンザスの裕福な食肉業者)と引き合わされる時に連発する、一見礼儀正しいが実は棘があるシャレの数々は抱腹絶倒である。キャラも本当に魅力的で、自分もこんなおじいちゃんが欲しいと誰もが思うだろう。

そして、ヒロインのマーサを演じるのはジーン・ティアニー。ため息が出るほどに美しい。晩年も、髪を少し白くしただけでジーン・ティアニー自身が演じているが、この映画の中でヘンリーとマーサが最後に会話を交わす結婚記念日の場面の美しさを、私はとても言葉にすることができない。断っておくが、ごくさりげない場面である。大げさな愁嘆場もお涙頂戴もない。ただ二人が夫婦の会話を交わし、踊るだけである。最初にあなたがこの場面を観る時には、これがそれほど重要な場面であるとは気づかないだろう。が、映画を観終えて思い返す時、あるいはこの映画を二度三度と観返す時、この場面の美しさはたとえようもない。私など、もはや目を潤ませずにこの場面を思い出すことは困難だ。

ヘンリーは、彼女が最近外出が多くなり、しかも理由をごまかしているとマーサを責める。するとマーサは笑いながら言う。「まあ、あなたは本当に嫉妬しているのね! 素敵だわ! 今まで私が嫉妬する一方だったけど、とうとうあなたに嫉妬してもらえるなんて」「(ヘンリーは腹を立てて)冗談じゃないんだよ、マーサ。君は今でもとても魅力的だから、男が寄ってきても全然不思議じゃないんだ。自分でもわかってるはずだ」「ああヘンリー、あなたはなんて優しいのかしら。30周年の結婚記念日に奥さんにそんなステキな言葉をプレゼントできる夫は、他にいないわ…」

この時のマーサの笑み。本当に幸福そうなその笑顔が、どんな哀切な場面よりも私を泣かせる。夫婦の愛情を描いた場面で、これ以上に美しい場面を私は知らない。そしてもちろん、ルビッチ監督はこの二人の死別のシーンなど描かない。そんなものはこの映画には不要だし、そんな場面で観客に涙を絞らせようと考えるほど、ルビッチ監督の志は低くないのである。

そんな風に感動的な場面も織り込みながら、ルビッチ監督は最後までアイロニーと微笑みまじりの視線を忘れない。ヘンリーは最後までヘンリーらしく生き、そして死んでいく。間違った印象を与えないようにあらためて断っておくと、これはひたすら軽やかな、洒脱をきわめた映画である。説教臭い夫婦愛賛歌ではないし、人生いかに生くべきか映画でもない。ましてやお涙頂戴ではまったくない。ルビッチ監督が人間に注ぐまなざしはアイロニカルでありながらも愛情に満ち、まるで子供を見る親のようだ。茶目っ気と洒脱さが、崇高の域にまで達している。

ルビッチ・タッチの真骨頂ここにあり。真に感動的な映画とは、こんな映画のことではないだろうか。

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