『地図にない町』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆★

ものすごく久しぶりに再読したが、実はこれが、私が最初に読んだ記念すべきディック本だった。確か中学生の時である。その頃ブラッドベリなどのファンタジー系にはまっていた私は「あるはずのない駅で列車が止まる。駅前にひろがるのは地図にない町、そこで目にするものは……?」という裏表紙の紹介文を読み、叙情的なSFファンタジーを想像して本書を手に取ったのである。その他にもおもちゃの兵隊がどうたら、子供にお菓子をご馳走するクッキーばあさんがどうたら書かれているので、ほんわかしたおとぎ話系幻想譚、可愛らしい系の癒しファンタジーだと思ってしまった。だってこれ読んだら誰だってそう思うだろ。

で、冒頭の「おもちゃの戦争」を一読、異様に冷え冷えとした空気に「なんじゃこりゃ!?」と驚き、違和感を抱きながらもそのままどんどん読み進み、最後の「地図にない町」を読み終えた頃にはそのあまりに荒涼としたヴィジョンの跳梁にショックを受け、顔面蒼白となり、まわりの世界がそれまでとは違って見えたことを覚えている。ほとんどハニワみたいな顔になっていたはずだ。その後私は抗いがたくディック中毒となり、ディックの作品を次々と読み漁っていくことになるのはご推察の通りだ。

後のディック作品を知ってから読むとあの緻密な作りこみはまだなく、非常にシンプルで素朴な短篇が並んでいるので、そういう意味では訳者が「アイデア・ストーリー」と言っているのもまあ分かるし、筒井康隆氏がアイデアより視点のユニークさが特徴だとして「ワン・ポイント・SF」と評したのも分かる。しかしまあとにかく、この独特のペシミスティックなムード、荒涼とした世界観が印象的で、確実に読者の心の中に棘のようなものを残すはずだ。すべてのものは荒廃し、滅びつつあるという強固なオブセッション。増大していくエントロピーの恐怖。

荒涼たるムードが特に濃厚なのは「超能力者」「ありえざる星」あたりだと思うが、この「ありえざる星」の無残さ、すべての生命や温かさが滅びてしまったかの如き灰色と低温の世界はすさまじいばかりだ。物語は人類が銀河系全体に広がったはるかな未来、実在しない神話の星であると言われる「地球」を見たいという老婆を、ある宇宙船の船長が金目当てで適当な星に連れて行く。その星は荒廃が進んだ死滅した星で、老婆をそれを見て「どうしてこんなことになってしまったんじゃ!」と恐怖をまじえた呟きを漏らす。老婆は忠実なロボット召使を連れているが、ロボット召使は不可解にも老婆を抱きかかえて自ら泥の中に沈み、二度と浮かび上がって来ない。船長は最後に、この死の星の泥の中から古いコインを拾い上げる。それには「世界は一つ」という言葉が刻まれている……。

船長が適当に選んだ星が本物の地球だったという設定だが、区別が判然としない偽物と本物のモチーフ、ロボットの不可解な殺人(と同時に自殺)、つっけんどんで簡潔な文体、などが異様な相乗効果を起こし、ごく単純で短い物語であるにもかかわらず、またSFとしてはさほどユニークなアイデアではないにもかかわらず(この地球の設定はアシモフのダニール・オリヴォーものに酷似している)、ディック以外の何物でもない、異様な寒気に満ち満ちた作品になっている。

それからまた、「あてのない船」。何かに憑かれたように手作りの船を建造する男の話で、まわりからきちがいと言われながら妻からはなじられながら、彼は船を作ることを止めない。しかも彼は、自分がなぜ船を作っているのか知らないのだ。自分はなぜ船を作っているのだろう? 彼は自問し続ける。そして船が完成し、大粒の雨が降り始めてから、彼はようやくその意味に気づく。アイデアとしてはやはりそれほど斬新ではないが、この謎めいた雰囲気と世界の終末感、不条理感、そして主人公の孤独、やりきれないような疲労感などが渾然一体となって、めまいを起こさせるディック・ワールドが不気味に立ち上がってくる。

そして最後の「地図にない町」。これはメイコン・ハイツという町が虚無から生まれてきてまわりの世界を歪める話で、無生物が生物のように振る舞うディック世界の特徴が出ている。そしてこれも、一人の男が駅で消滅する序盤から荒涼感がバリバリに漂い、結末では白昼夢的なめまいの中にすべてが呑み込まれていく。

この「あてのない船」「ありえざる星」「地図にない町」の容赦ない三連発が、この短編集の締めなのである。ほんわかしたおとぎ話だの可愛らしい癒し系SFだのを予想していた中学生の顔面を蒼白たらしめるには、充分過ぎるというものだ。

さて、こういうブリスクでペシミスティックな持ち味が吹き荒れる本書だが、全部が全部そうでもない。ディックのユーモラスな部分が発揮されているのが「名曲永久保存法」「万物賦活法」という、ラビリンス博士が登場する二篇である。これがまた、異様でかつ面白い。「名曲永久保存法」でラビリンス博士は、音楽を生物に変換する装置を発明する。シューベルトやバッハの曲が動物や鳥や昆虫に変身するのである。しかし森の中で暮らすうちに生物たちはだんだん変化していく。また「万物賦活法」では、博士はなんと、どんなものにでも生命を与えてしまう万物賦活器(!)を発明する。なんてすごい人なんだ。そしてこのオーブンに酷似した装置で、「ぼく」の靴が生命を得てしまう。いずれもメタモルフォセスがテーマで、またカフカ的発明の物語という点が共通している。このユーモラスでスラップスティックでどこか不気味なテイストは、類を見ないものだ。

とにかく、こんなにシンプルで素朴な、時には拙いプロットなのに異様なムードだけは満点という、やはりこの人の才能は異常である。フィリップ・K・ディックは絶対にフィリップ・K・ディック以外になりようがなかったということが、これを読めば誰でも腹の底から納得できるだろう。後のディック作品を考えると物足りなさは否めない本書だが、ディックならではの味は確実に味わえる。ちょっとディックの世界を覗いてみたいがディープな作品はまだ躊躇する、という方にいいかも知れない。

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