『ザ・フライ』 デヴィッド・クローネンバーグ監督   ☆☆☆☆★

DVDで久しぶりに再見。やはり面白い。傑作である。これは私が最初に観たクローネンバーグ映画で、単なるホラーだろうと思って映画館に行ったら重たい悲劇性と独特の内臓感覚に打ちのめされ、やみつきになり、その後次々と彼の映画を観まくることになるきっかけとなった作品だ。もともとこれは古い恐怖映画のリメイクなのだが、その映画『蝿男の恐怖』も知る人ぞ知るカルト作品。子供の頃藤子不二雄が漫画の中で紹介しているのを読んで興味を持ち、ずっと後に深夜放送で観たが、これも面白かった。もともとジョルジュ・ラングランの原作、物語のアイデアそのものに魅力があるのである。

物質転送の研究をしている科学者が自分自身の転送実験をする際、転送機に蝿が一匹まぎれこむ。そうすると転送機は二つの生命体をうまく処理しきれず、人間と蝿の身体の一部を交換してしまう。正確には頭部と片腕だ。こうして博士はおぞましい蝿男になってしまう。これがオリジナル『蝿男の恐怖』のストーリーである。これをリメイクするにあたり、クローネンバーグは主役のセス・ブランドル博士を襲うアクシデントを身体パーツの交換でなく、融合に変更した。遺伝子レベルでの融合である。つまりブランドル博士のテレポッドは人間と蝿の二つの生命体を処理しきれないため、遺伝子レベルで融合させてしまう。ブランドル博士は転送後すぐ蝿男になるのではなく、時間をかけて、だんだんと変化していく。この変更はまさにオリジナル映画のクローネンバーグ化であり、物語をクローネンバーグの土俵に引きずり込むことを可能にした。肉体の変形と崩壊、これこそ彼の専門分野だからだ。

映画が始まった途端、ハワード・ショアの重厚な音楽がドラマの悲劇性を暗示する。タイトルバックも面白い。赤や青の光の中をぼんやりした黒い粒々が動き回るという、どことなく蝿の群れを思わせる映像だが、映画が始まってピントが合うとそれがパーティー会場の人間たちであることが分かる。そしていきなり、セス・ブランドル博士ことジェフ・ゴールドブラムの顔のアップ。これがものすごく効果的で、誰もがぎょっとするに違いない。すでに蝿っぽいのである。ギョロ目をはじめ顔全体が昆虫的だ。これから蝿になる気満々。さすがクローネンバーグ監督、役者の顔つきまで最大限に活用している。どこまで意図的な演出か分からないが、ゴールドブラムが喋る時にあのでかい目をきょときょと小刻みに動かしたりするものだから、ますます蝿っぽく見える。この映画を初めて観た時は、この俳優さん蝿男以外の役ができるのだろうかと心配になったほどだ。

オリジナルの博士は家族持ちだったが、本作では独身である。ブランドルは記者のヴェロニカと仲良くなり、研究もうまくいくが、ちょっとした誤解で嫉妬し、やけ酒の勢いで自分自身を実験台にしてしまう。しかし、実験はうまくいくはずだった。たまたま一匹の蝿がテレポッドにまぎれ込みさえしなければ。

それからブランドルは徐々におかしくなってくる。陽気になり、気が短くなり、異常な甘党になる。精力絶倫になり、体操選手並みの身体能力を得る。そしてだんだん顔が汚くなる。

このへんからクローネンバーグのグロ趣味が全開になってくる。ブランドルが爪をむしったり、指先からぶしゅっと体液を出したりする場面はかなり気持ち悪い。それから怖いのは、ブランドルが自分の転送記録を調べる場面。つまりここで自分が蝿と融合させられてしまったことを知るのだが、その見せ方がうまい。二つの対象があった、とコンピューターが答え、二つ目の対象を映像表示する。細胞レベルの映像からだんだんズームアウトしていく。最初はなんだか分からないが、だんだん異様な映像になり、最後に蝿だということが分かる。

ここからブランドルの変身が更に進み、目を覆うような気持ち悪い映像の連発となる。ジェフ・ゴールドブラムもよくぞここまでやった、というぐらいの熱演である。やはりこの、だんだん変化していく、というのがとてつもなく怖く、オリジナルの「蝿男」を壮絶なまでの悪夢に変化させている。そして単に怖い、気持ち悪いではなく、たった一匹の蝿、という些細な原因が招いたあまりにも凄まじい悲劇、というアイロニーが効いている。しかも絶対に取り返しがつかない。一度混ざってしまった遺伝子はもはや分離できず、失敗したから元に戻すということができないのである。この「取り返しのつかない感」は非常に重要なポイントで、そういう意味で「分離」を可能にしてしまった続編の「ザ・フライ2」がご都合主義的なB級作品になってしまったのは当然だろう。本作は単なるホラーではなく、取り返しのつかないアクシデントの不条理を悪夢の中に描き出している。バケモノと化したブランドルが「ぼくは人間になった夢を見ていたんだ」と言う場面に、それがよく現れている。

ブランドルはバケモノになるがまだ人間の心を失っておらず、ヴェロニカに子供を堕ろさないで欲しいと頼んだり、自分は昆虫であり、危険だからもう来るなと警告したりする。その姿が不気味なだけに悲痛だ。

そして映画はついにすさまじいクライマックスに至る。ブランドルはせめて人間に近づくために、ヴェロニカとの融合を計画する。抵抗するヴェロニカの目の前で、最後の変身が起きる。ここでブランドル・フライが行き着く最終形態はもう、慄然とするとしかいいようがない。顔の半分を占める巨大な眼球がきょときょと動き、口は口吻となり、もはや人語を喋ることはできない。ざわざわと妙な音を立てるだけである。しかしブランドル・フライの計画は失敗し、今度はポッドの一部と融合してしまう。出てきた生物はもはやメチャクチャである。半分機械と化した下半身を引きずって這うことしかできない。唖然とするほど悪夢的な光景だ。

そしてそのバケモノがヴェロニカに死を乞い願う場面で、悲劇は頂点に達する。つまりこのグロテスクな生物にはまだ人間の、セス・ブランドルの心が残っているのである。なんということだ。これほど壮絶な悲劇があるだろうか。もはやぶうーと泣くように唸ることしかできない無残な生物を映し出すラストシーンで、私は異様な戦慄と感動に茫然となっていた。この戦慄と感動は、映画界広しといえどもクローネンバーグ監督以外創り出せないものだ。

それにしても、自分の愛した人が蝿になってしまったヴェロニカの心中はいかばかりか。世の中には、自分が愛する人が変わってしまうというパターンの物語がある(キングの『呪われた町』や『ペット・セマタリー』もそう)が、本作はその極北にある作品である。これをラヴ・ストーリーとまであえて呼ぶつもりはないが、少なくとも、愛が直面するもっとも深刻な試練を描いた作品であるとはいえると思う。合掌。

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