『クリムゾン・キングの宮殿』 キング・クリムゾン   ☆☆☆☆☆

プログレッシヴ・ロックの名作の一つ、『クリムゾン・キングの宮殿』。プログレ好きでこれを知らない人はいないだろうし、プログレって何? という世の善男善女の皆さんは誰も知らないだろう。そういう音楽である。間違っても喫茶店でかかったりスキー場で流れたりはしない。

しかしすごいジャケットである。インパクト絶大。前10ccの記事で書いたが、中学生の時に音楽好きの友人が「すげえいいぜ!」とか言いながら、10ccの『オリジナル・サウンドトラック』と一緒にこれを貸してくれたのである。CDじゃなくレコード盤の頃だ、ジャケットもでかい。私はこのジャケットを一目見て、非常に嫌な気分になった。できるなら聴きたくない、と思った。このジャケットから愉快な音楽が流れてくるとはとても思えなかったからである。分かっていただけることと思う。しかしまあ、友人も絶賛することだし、とりあえず聴いてみた。そして度肝を抜かれた。感動した、というのとはちょっと違う。恐かった、という方が近い。甘美さが入り混じった恐さである。

まず一曲目は『21世紀の精神異常者』。今じゃ『21世紀のスキッツォイド・マン』なんて間抜けな邦題にされてしまっている。中学生の私が恐る恐る針を落とすと、なんか空気が抜けるような妙なノイズが聞こえる。ぷすー、すぴー、しゅわー、とかいう音だ。なんだこれ、と思っていると、いきなり歪んだギターとホーンでガーンと来る。ヘヴィーなリフ、しかも金切り声を上げているような狂気っぽいギター。ああやっぱりこういうのだったか、と思うまもなく歌が始まる。が、歌声にまでディストーションがかかっている。なんという凶暴な曲。しかもどこかジャズっぽい。中盤、ギターが殺気をみなぎらせたソロを取り、そのままサックスとユニゾンで延々とややこしいフレーズを弾く。叩きまくるドラム、走り回るベースがまた壮絶。やがてまたガーンとテーマのリフに戻り、ひずんだ声で歌が入って終わる。終わり方も尋常じゃなく、全員がメチャメチャになっていったん止まる、ようやく終わったかと思うとまたギターが鳴り出し、再び全員がドシャメシャに暴れまわった挙句、今度こそ本当に終わる。コワイ。とにかくやたらテンション高いというか、全員目を血走らせて演奏しているような曲だ。

間髪いれずフルートの音が鳴る。『風に語りて』である。これはまた打って変わって幽玄寂静なムード。美しいが、やっぱりどこか恐い。グレッグ・レイクのヴォーカルもひんやりしている。幽玄フォークだ。一曲目との落差が激しすぎる。表情豊かで繊細なドラミングが印象的。

そして三曲目『エピタフ(墓碑銘)』。『風に語りて』の最後のフルート・ソロにかぶさるようにメロトロンのオーケストレーションが高まってきて、陰鬱かつ荘厳なシンフォニーに突入する。暗い。曲調が暗いぞ。どうしてここまで厭世的にならなければいけないのか。しかし同時に、この悲哀感溢れるメロトロンのオーケストレーションはとてつもなく甘美だ。ギターはアコースティック・ギターでバッキングに徹している。これはとにかくメロトロンとヴォーカルの曲である。中盤、「…is in the hands of fool♪」の後、不安なコードでメロトロンがぶわーっと押し寄せてくるところがメチャメチャ恐い。後半はマイケル・ジャイルズの華麗なドラミングが光る。
レコードの時はB面一曲目だった『ムーンチャイルド』。これはまた『風に語りて』より更に幽玄、タイトル通り、月下に遊ぶこの世のものならぬ美童の映像が浮かんでくる。メロトロンとフルート、凍りつくようなフレーズを弾くギター。幻想的で美しいが、狂気じみたところがある。というか、ここまで聴けばもう分かるのだが、この頃のクリムゾンの曲にはどれも狂気じみたところがあるのだ。

『ムーンチャイルド』の後半は一定のリズムキープすらなくなり、すべての楽器の完全な即興演奏となる。前半部の幽玄なムードを引きずっていて、テンション高いというよりみんなでけだるく遊んでいるような、瞑想的なアドリブの応酬である。はっきり言って眠くなるが、これはそういう演奏なのだと思う。けだるい演奏が続いてどよーんとなったところへ、突然切り裂くようなドラムのフィル、そしてそそり立つような壮大なテーマがどーんとくる。びっくりして目がさめる。『クリムゾン・キングの宮殿』である。どういうわけかこれも邦題が変わり、最近じゃ『クリムゾン・キングの迷宮』になっている。なぜ迷宮?

アコースティック・ギターをバックにした幽玄な歌パート、メロトロンとコーラスによる荘厳かつ力強いテーマ部の繰り返しで曲は進む。途中にフルート・ソロあり。そしてこの曲の終わり方がまた変だ。いったんこれまでの曲調にマッチした雄大な感じで終わる。と思ったらシンバルのつなぎを経て、またテーマ部のリプレイとなるが、これまでと違ってすごくノイジーなアレンジ。そして最後はノイズの固まりが頭上に吸い上げられていくような奇怪な終わり方をする。不気味だ。最初で終わっていれば堂々たる最後だったのに、このコーダのせいで不気味になっている。やはり狂気じみている。

このアルバムは超絶技巧とか、ジャズからクラシックまで咀嚼した音楽性とか、構成力とか色々言われるが、私はなんといっても全体に漂うパラノイアックな不安感がキーだと思う。不安感というか、ほとんど恐怖感に近い。『21世紀の精神異常者』を除いては別にヘヴィー・メタルのようなうるさい曲はなく、静かな曲も多いしメロディアスでもあるにもかかわらず、なぜか恐いのである。それが強烈な陰影となり、幽玄な美しさはますます幽玄に、悲哀の情緒はますます悲哀になっていく。当時からシンフォニックで幻想的な曲をやるバンドは他にもあったが、曲想が大体牧歌的だったり穏やかだったりするのに対し、クリムゾンは狂気をはらんだ陰鬱、悲愴、不安の情緒を過剰なまでに発散する。スケールが大きい。ここまで聴き手をディープな情緒に引きずり込むロック・バンドはそれまで存在しなかったのではないか。

『21世紀の精神異常者』などを聴くともちろん演奏能力も高いが、例えばイアン・マクドナルドは基本的にマルチ・プレイヤーで、ある特定の楽器の超絶テクニシャンというではない。ロバート・フリップのプレイも弾きまくるようなものは少なく、曲のアレンジ重視である。そういう意味ではバンド全体としてやはりコンポーザー、編曲者としての才能が光っている。そしてそれ以上にすごいのが、この特異な、不安が入り混じった情緒。カフカの小説や、ボスの絵画を思わせる。これはおそらくリーダーであるロバート・フリップの資質だろう。クリムゾンを抜けたメンバーは常にクリムゾンと似ても似つかない音楽をやることで有名だ。このアルバムの発表直後に脱退したイアン・マクドナルドは、自分達の演奏が不安や恐怖の感情にインスパイアされているのに嫌気がさした、もっと聴く人が楽しめる音楽をやりたい、というような発言をして去っていったらしい。分かる気がする。こんな音楽ばかり演奏するのは相当なストレスに違いない。

確かに、この頃のキング・クリムゾンの音楽にはどこか背筋が凍るようなところがある。しかもそれは、ノイジーなギターとか音量とか超絶技巧とかにはあまり依存していない。静かなアコースティック・ギターをバックにフルートが鳴っているだけで戦慄する。そこがクリムゾンの凄さだ。

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