『ガープの世界』 ジョージ・ロイ・ヒル監督   ☆☆☆☆☆

日本版DVDを購入して鑑賞。原作はジョン・アーヴィングで、この人の小説はまだ『ホテル・ニューハンプシャー』しか読んだことがないが、その限りで言わせてもらえば、この映画はジョン・アーヴィング独特のあの雰囲気をなかなかうまく表現できていると思う。監督はジョージ・ロイ・ヒル。『スティング』『明日に向かって撃て』のイメージが強いヒル監督だが、ヴォネガットの『スロ-ターハウス5』をやったりジョン・アーヴィングをやったりと、実は結構間口が広い人だ。この映画も、かなり奇妙なスタイルの映画といっていいだろう。

現実離れしたファンタジー性と、オフビートなおかしさと、なんとなくピッピー文学やフラワー・ムーブメントを思わせるひねくれた優しさが、この映画を構成する基本三大要素である。赤ん坊がふわふわ空中浮遊する奇妙なオープニングが終わると、冒頭のシーンでガープの母親ジェニー(グレン・クローズ)が両親にガープ誕生のニュースを告げている。父親は卒倒するほど驚き、「ガープとはファーストネームかラストネームか?」と問う。するとジェニーは「分からないわ。ただのガープよ」と答える。次に父親は「T.S.とは何の略か?」と問う(ガープのフルネームはT.S. ガープなのである)。するとジェニーは「多分テクニカル・サージェントだと思うわ」と答える。すると父親は天を仰いで慨嘆する。「やっぱり軍人か、わしには分かっておった!」

この最初の数分間で、この映画はその非現実的なコメディとしての性格を明らかにする。従って観客はよほどニブくない限り、その後の奇妙なエピソードの数々に対してすみやかに心の準備をすることができるわけだ。そして実際に、この映画は奇妙で非現実的なエピソードをつるべ打ちにしていく。たとえば観客はジェニーが身動きできない瀕死の患者をいわば「レイプ」して、ガープを身ごもったことを知る。その患者は、重傷のためずっと「ガープ」としか言えず、やがて「アープ」としか言えなくなる。もうこの患者は長くないと思ったジェニーは患者と性交する。すると患者は一言「グッド」と言って、息を引き取る。

観客はこの奇妙なコメディの中で、少年ガープがだんだん大きくなっていくのを見る。ガープはまだ見ぬ父親を飛行機乗りだと信じ、自分も空を飛びたいと願う。この場面ではガープがクレヨンで描いた絵がアニメーションになって動き、ガープの空想を視覚化してみせる。またガープは屋根から落ちかけ、レスリングを始め、耳を犬に噛まれたりもする(後にガープはこの犬の耳を噛み返して復讐する)。大学時代になって恋を知り、小説家を目指す。ここからガープの役者がロビン・ウィリアムスに交代する。ガープは母親と一緒にニューヨークに行き、小説を書くが、皮肉なことに母親ジェニーの書いた小説がベストセラーになる。ジェニーは時の人となり、浜辺に豪邸を建て、救いを必要としている人々を集める。

一方ガープは結婚し、家を買う。買おうとしている家にセスナ機が突っ込む事故が起きると、ガープは言う。「よし、この家を買おう。この家に今後飛行機が突っ込む確率は天文学的に小さい」

こんな調子で、映画はガープの人生のさまざまなエピソードをゆるくつなげていくが、やがてコメディだけではないこの映画の痛ましい性格がだんだんと顕れて来る。ガープは妻に裏切られる。子供が事故で死ぬ。母親ジェニーが射殺される。その他一見コミカルなエピソードでも、実は喜劇と悲劇がないまぜになっていることに観客は気づく。この映画はガープの目を通して人生というもの、そして世界というものを描こうとする試みだけれども、その世界は善意と悪意の両方でもって人間たちを翻弄する。世界は残酷なのだ。

それからまた、エピソード同士の繋がりが緩い、あるいは一見脈絡がないのはこの映画が人生を俯瞰的に表現しているからであり、ストーリーテリングの稚拙さを意味しない。むしろこの手法は物語にダイナミズムをもたらしている。後半ある場面でガープが言う、「人生って振り返ってみると面白い。あれとこれが、ちゃんと繋がってるんだから」その一方で、ガープの人生な重要な瞬間にいつも登場して彼を糾弾する眼鏡をかけた女の子のような非現実的なトリックが用いられ、映画にファンタジーを越えた象徴性を与えている。

グレン・クローズはこれが初めての映画出演らしいが、とてもそうとは信じられない見事なパフォーマンスだ。観客へのインパクトという意味では、ジェニーは主役のガープと同等かそれ以上である。患者を「レイプ」してガープを身ごもった母親。聖女のようでもありしたたかな女のようでもあり、加えていつもナース服を着ているというマンガチックな設定。このキャラクターに現実感と人間的な厚みをを与えるのは至難の技だと思うが、グレン・クローズはそれに成功している。

ガープを演じたロビン・ウィリアムスはお得意の繊細でコミカルな芝居を見せるが、複雑なトラジコメディであるこの映画には良くフィットしていると思う。脇役として性同一性障害者を演じるジョン・リスゴーもいい。それから交通事故で死んでしまう男の子役の少年はあまりにも可愛らしく、女の子だと思った観客も多いのではないか。あの子を死んでしまう役にするなんてあざと過ぎる。

浮遊する赤ん坊で始まり、浮遊する赤ん坊で終わるこの映画は、奇妙な、コミカルな、しかし痛々しいやり方で人生そのものを描くことに成功している。私は子供のガープにジェニーが言ったセリフが忘れられない。「人は誰でも死ぬのよ。私だって死ぬし、あなただってずっと後になれば死ぬわ。でも肝心なのは、死ぬ前に人生があるってことなの。死ぬまでに一体どんな人生を送るのか、これが私たちの素晴らしい冒険なのよ」

人生は辛いものであり苦しいものであり、あるいはまた試練やテストであるのかも知れないが、まず何よりも、素晴らしい冒険なのである。彼女はまた、歳をとってからこんな風にも言う。「歳をとるって、みんなが言うほど悪いことじゃない。運がよければ友達が大勢できるし、思い出もたくさんできる」

あるいはまた、ガープは撃たれてヘリで運ばれる時、付き添う妻に言う。「僕たちが通り過ぎてきたすべてのことを覚えていて欲しい」もちろん、それは楽しかったこと幸せだったことだけでなく、辛かったこと悲しかったこともすべて、という意味である。そして、「ぼくは飛んでる」と呟く。この時の彼は、もう子供の頃に戻っている。はるか何十年も前、彼は飛行機乗りの父親に憧れ、その人生でいつか空を飛ぶことを夢見ていた。

そしてエンドクレジット。赤ん坊の笑顔と、そこに重なるビートルズの「When I’m 64」。ポール・マッカートニーは歌う、ぼくが64歳になっても、君はぼくのそばにいてくれるかい? ぼくにバレンタインのプレゼントをくれるかい? 君もまた歳をとるだろう、でも君がその言葉さえ言ってくれたら、ぼくは君といつまでも一緒にいることができると思うんだ…。

愛おしいこの世界に捧げられた『ガープの世界』。これは観る者すべてに、人生とは素晴らしい冒険なのだと告げる映画である。

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